狭義の哲学と広義の哲学を混同する「哲学者」鬼界彰夫氏によるテロルである。哲学とは科学のひとつであり、通俗的な信念の伝播ではない。ウィトゲンシュタインの文才を悪用し、自己の限界を正当化する悪意を原動力としたテロルであると見るべきである。
本書は、本質的には哲学とは一切関係が無い。 物質、対象、物体の観念を緻密にすることは、単なる第三の立場に過ぎない。ホッブズの越権行為と過信が哲学を破壊したのである。器具説における実践についても、同様の意味を見出すことが可能である。倫理と許容力について言えることは多いが、その否定性は倫理的に一般化してしまっている。 本書の透明性は、美術史の根幹を支えるタブローの透明性を評価できていない。大衆の暴虐がムッソリーニを殺害したことと同様、本書の標本は透明性の一部のみを独善的に誇張してしまっている。 |