どうも貧困家庭に生まれた著者の生い立ちによる同情の色眼鏡が掛かったように感じます。
登場する人物が貧困に陥ったのは、親による貧困の連鎖の犠牲者の方を除くと、刹那的な生活スタイル、本人の能力不足、将来の展望や計画性のなさ、どちらかと言うと本人に起因したものによるもの(生活レベル維持からの破たんや極度の楽観、あきらめの感情)が多くみられました。 確かに、当時の政府の無策によって氷河期世代が発生したことは事実ですし、かく言う私もその時代に属するので、大学を奨学金をもらいつつアルバイトをしてなんとか卒業し大卒の資格を得ていても、まともな就職先の無さやひどい求人状況と言ったその時代の苦しさは実感できていますし、実際ブラック企業と呼ばれるところで長年過ごしてきました(サービス残業や有給どころか慶弔休暇取得すら認めない、不当な減額や無給休日勤務・・・)。 今はそこそこましな別の企業に勤務していますが、このCovid19の影響で会社も傾きつつあり、この先が見えない状況になっています。 だからと言って、私自身、「○○のせいだ」と主張するのではなく、自力でなんとか生き抜くすべを見つけようと一生懸命研鑽(もがいて)いる現状から見ると、この書籍に登場する人物に限定して言えば、本著帯にあるように「自己責任論で片づけていいのか?」と問われると、なかには犯罪者や前科者もいるし、この人たちってどうなのよ?と言う感情が逆に浮かぶばかりです。 |